2018年06月09日

平和への感謝

退屈という牢獄に閉じこめられているように錯覚している者達よ。
それがどれだけ幸せなことなのか、よく考え直してほしい。

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朝自分の意志で目覚めることができること。そのとき体が自由に動かせることに感謝しよう。
「おはよう」と言う言葉を、何も意味を含めずに言える事に、感謝しよう。
鳥の声が聞こえることに、感謝しよう。
何にも怯えることなく、安心してご飯をいただけることに感謝しよう。
外を歩いても、ゆきたい方向にどこまでも歩いてゆけることに感謝しよう。
自分の話を聞いてくれる、ゆとりある世の中であることに感謝しよう。
外に出ても捕まったりしないことに、感謝しよう。

敵だと狙われることもなく、実験動物のように痛く怖い思いをさせられることもなく、伝えたいことも伝えることができる。この状況は、過去の人の体験と願いと努力による、奇跡の上にしか成り立たないことを考えよう。
そうだ、この「平和」という現象は、努力と願いがなければ成り立たないし、続かないのだ。この「平和」の下地にあることを、決して忘れてはいけない。例え知らなくても、時々はその「平和」を求める下地のことを想像しておこう。

もしも思ったことを口にするだけで捕まり、拷問を受けるような世の中だったなら。
もしも苦痛と恐怖に耐えることしか、生きながらえる方法がないような世の中だったなら。
もしもその恐怖と苦痛を、他人に与えることでしか生き残れないようなシステムだったなら。

全てを見たこともないものに捧げ、ありがたがって、いつの間にやら「己」も「平和」も差し出してしまっている。
その意味も分からなくなってしまっている。
そんな風にはなりたくない。

「平和」は恐怖と苦痛の中から願われて生まれる言葉。間違っても「平和」を願わなければならない世の中にはなってほしくない。
だからちゃんと今あるこの「平和」を意識して確認し合おう。それは特別なことだって、本来の感覚に改めよう。
今朝非常に怖くて痛い夢を見て、起きたら感じたことでした。
だから例え意味が通じなくても、これは書いておこうって思いました。

夢は脳の整理だといいます。
でもそこには過去を生きた人たちからの願いだとか思いというものも混じっているように思えることがあります。
そんなことも脳の奥深くに焼き付いていて、それが元になるのかもしれません。

理屈はどうあれ、僕は夢によって「平和」のことを思う機会をもらえたんですね。
もう見たくないほど嫌な夢ですが、こんな記事をかけたことだけは救いだと思いました。

本当に、当たり前に負けず「平和」を感じて感謝し続けていたいですね。
posted by えんじろう at 08:30| Comment(0) | Real Time | 更新情報をチェックする
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